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食のコラム

食のコラム

みなさまに知っていただきたい“食”に関する情報です。

鶯宿梅生産者 徳重文子さんの 梅と歩んだ人生

梅と生き 梅に生かされた人生

「梅は、私の人生そのもの」
アムリターラの梅シリーズは全て、宮崎県にある梅農家から届きます。
今も現役で梅園と製造を管理されている、生産者 徳重文子さん。
1929年に生まれた文子さんは、生まれながらにして「いつまで生きられるかわからない」程の虚弱体質でした。幼少の頃はあまり外に出るのもかなわず、障子越しに外を眺めて過ごすことも多かったと言います。食事には梅干しの黒焼き、魚の骨や目玉などミネラルの豊富な食べ物が出されることも多く、庭先に七輪を持ちだして梅肉エキスを作ることもあったそうです。
その頃の村の薬は、頭痛には梅干しの果肉をこめかみに貼り付け、風邪には囲炉裏端で黒焼きにした梅干しを砕いたものにお湯を注いだものを飲む。下痢や扁桃腺の腫れには梅肉エキスが著効だったそうです。

主要食であり 万病の薬 梅

とにかく梅は「万病の薬」とされ、海軍では梅肉エキスが薬品として扱われていたそうです。
薬でもあり、主要食でもあった梅により命を救われた文子さん。この時に、漢方医をしていた祖父から「人間の食べ物は『身土不二』が本当の食べ物」と聞かされていたことが、品種改良された梅の半分程の収穫量しかない日本古来種【鶯宿梅】を、その後の梅栽培に選んだ理由だといいます。

半世紀にもわたる無農薬・有機栽培

何はともあれ、梅とともに命をつないだ幼少期の文子さんには、寒さの中で“凛”として咲き香り立ち、いち早く春を知らせてくれる梅の木は、自分を助けてくれた良き相棒となったのです。この時の思いが、梅を自然の摂理に従い有機栽培していく生産法につながっていきます。
「何時の世でも、人々の健康を守ってくれる食べ物である梅の木ですが、自然な育て方をした梅の木は何年も生き続けます。有機の土壌と共に梅を後世に伝えていくのが、梅によって生かされた私の使命です。」

過酷な人生体験~梅のために生きる決意

この様に語る文子さんは、10代の頃に戦争を経験しています。過酷な青年期を必死に生き抜き、結核を患い死の淵を彷徨うも、その後は女手ひとつで二人の子供を育てあげました。
終戦の後、日本では<女性初>だという危険物取り扱いの免許を引っ提げて起したクリーニング業では、子供を背負いながら必死に御用聞きをしました。そしてこれも女性初であったという自動二輪の免許を習得し、単車にまたがり自衛隊相手に単身で仕事をとりに行ったのです。やっと足が届く様な単車を女性が駆る様は、その時代では圧倒される光景だったことでしょう。文子さんにとっての必死のパフォーマンスでした。
昼は御用聞き、夜はアイロン掛けと、事業拡大のために昼夜の別なく働いた時期でした。
しかしあまりの多忙により、心身を休めることが後回しになっていたのです。自分を酷使する状況下で、次男を出産した当時に患った肺結核の再発の危惧もされました。そうした日々に忙殺される中で、あえて“死を現実として意識”することで、生への理想が見えたといいます。
「どうせ死ぬなら、生きるところまで」
文子さんにとって、死生観であり生命感でもあるこの意識感覚は、幼少期に救ってくれた梅への鮮烈な記憶と強くリンクしたのです。そして梅を自ら栽培することを心に決めました。梅の木を育てることで愛に溢れた梅園をつくり、豊かな土壌と健康を後世に伝えていくことを、生涯での自らの役目だと認識したのです。
当時、専業農家以外の農地取得は不可とされていましたが、取り付く島もなかった農業委員会会長に対し、試しに植えたサツマイモを専業農家の1.5倍以上収穫するという“功績”を携え直談判します。これによって認められた文子さんは晴れて農地を手にします。土作り開始と共にまずは梅を200本植栽。梅園の視察をし、農法に関して本格的に勉強を始めたのです。梅の品質を追求するために、自然の摂理や人間・動植物の生命についても学びました。
養鶏や牛の大規模放牧、はたまたスナックのママまでいくつかの商売を渡り歩き、持ち前の努力と挑戦、そして勤勉な姿勢と商才で得た蓄えは、いつも梅栽培に向けられてきました。少しずつ農地を買い広げ勉強を続け、梅の木を植える本数を増やしていったのです。

梅肉エキスによって 心から救われる

一心不乱で疾走し、何とかもちこたえてきた文子さんですが、ついに40代の半ばで倒れたのをきっかけに動けなくなってしまいます。もともとの虚弱体質と、結核を経験していることや疲労が重なり、極度の気管支喘息による呼吸困難で横にもなれず、布団によりかかることしかできませんでした。会話すら筆談でしかこなせない状態でしたが、藁にもすがる思いで幼少期に摂取していた「梅肉エキス」を再び摂取しようと、自分の梅園の梅でエキスを作ってもらいます。そして服用1週間程で横になることができ、完治に向かったのです。
「助かった!梅が救ってくれた」
涙がポロポロ溢れました。
これを最後に、80代の現在まで風邪も喘息も全くなく、健康診断の血液検査はいつも異常なしとのことです。

おもいを梅に託して いつまでも

現在、文子さんの梅園には2500本近くもの梅の木が生えています。梅栽培をすると決めたその当時から半世紀以上も貫いた無農薬・有機栽培は土の質を高め続け、今ではふんわりと暖かく、棒を指すとふかしイモのように1m20cmもの深さまで入っていくほどです。
「いつの世も人々を健康にしてくれる梅」
文子さんにとっての過酷な人生の中で見えてきた“生”は、梅とともに花開き、次代へ受け継がれる土壌となり、“おもい”となって実っています。その“おもい”が結晶となった梅製品の数々からは、文子さんからの大切なメッセージが伝わってくるようです。